平和でおだやかな国

令和2年8月、敗戦後75年が経過し、コロナ禍の中、過去を見つめ平和を願う様々な行事が行われた。改めて平和の大切さを実感した。今になっても、世界の地域では戦争があり多くの生命が失われ、難民が増え、多くの子供たちが劣悪な環境で犠牲になっている。そのことは75年前の日本の姿だった。前橋ではいろいろな場所で多くの人々が集まり前橋空襲の日に犠牲者の慰霊を行うのが定着している。民間のボランティアが長年収集した前橋空襲資料を集めた平和資料館構想も出て、市も含めた会合が重ねられている
75年たつと当事者はなくなりすでに孫ひ孫の世代になり、家や家財の処分によって多くの貴重な資料や写真がなくなってしまう。声をかけてもらえば、保存の方法もあると思うが、受け入れ窓口や保管場所もない状態では過去の戦争体験の継承や犠牲者の無念を思い追体験し、平和の誓いを新たにすることもできない。身近に体験できる場所があれば平和への思いは広がる。各地にあった遺族会も高齢化で解散が続出している。各家庭に飾られていた戦争で亡くなった方の遺影は今どうなっているのか。墓じまいで戦没者の墓はどうなってしまうのか。戦争犠牲者の記憶が消えてしまう
被害者だけでなく加害者として中国や朝鮮や台湾、東南アジアに侵略戦争をして多くの人命や人生、財産を奪った責任は解決しているのか。徴用工問題や慰安婦問題はどうして噴出するのか。平和条約結んだとしても民のレベルで解決していない。ドイツは今でもナチスの協力者を追求し、処罰している。被害を追体験できなければ加害も忘れてしまう。