鉄道

紅葉と聞いて横川の眼鏡橋に行ってきました。20日だった。駐車場もあり多くの人が歩いて眼鏡橋まで登り、横川までのトンネルを歩いたり、熊の平まで歩き、散策を楽しんでいた。明治10年代には信越本線は開通していて、この急こう配もドイツの登山鉄道にヒントを得てアブト式で開通していた。全く驚いた。明治維新、文明開化とはこういうことなのかしみじみ会得した。江戸時代は大名の参勤交代などで陸上や舟の交通は発達したが、陸蒸気に見るように蒸気機関を使って、線路を作り列車を走らせることはなかった。幕末、咸臨丸でアメリカに渡った武士やイギリスに留学した長州藩士は交通にびっくりし、文明の遅れに驚き、とても幕藩体制ではこうした仕事はできないであろう。強力な中央集権体制でなければ全国を網羅する交通網は築けないと確信しただろう。線路敷設やトンネル工事はすごいスピードで進み、眼鏡橋の橋脚は何百万というレンガを積み重ねた。勿論お雇い外国人の技術の力は大きかっただろうが、どのように短期間に日本浦々に鉄道網を敷いたのだろうか。一つの目標に向かってとてつもない力が働いたのだろう。財政的にも地租改正や生糸など輸出が貢献しただろう。ほんの10年前後でやってしまった。全く頭が下がる。それが今の我々を支えている。素晴らしいものを見せてもらった。