平和

新聞の上毛歌壇に高校時代の恩師の歌が第一位に選ばれていた。「改憲は否と言うべき一票を投じるために生きねばならぬ」年齢を重ねてもなおほとばしる信念にふれ励まされた。戦争を反対しつづけた政治家の野中広務氏や平和への思いを句に託した金子兜太氏も実際の戦争経験者として訴えるものがあった。後藤田さんも同様な発言を続けた。自叙伝に、作戦を遂行するのに弾薬や人員や食料などを上官に尋ねても合理的な答えがされない。この戦争は負けると確信したと書いている。戦争の実際を知る人がいなくなり、頭や言葉で威勢のいいことを言うようになると危険である。土屋文明館で昭和10年から20年までの少年雑誌が展示され、検閲を通じて内容が戦争一色になる中で、雑誌を売ろうとして加担していく出版社などの商業ベースの対応があると講師が指摘されていた。独り歩きして大きな魔物になってしまう。平和の重しがだんだん軽くなっていく。